家族に内緒で大型二輪免許の教習所へ通う方法です。20歳のときに250ccのオートバイで事故を起こし、2週間入院しました。家族が反対するのは間違いありません。そこで週末、家族が寝ている早朝に教習所へ通うことを計画しました。
「家族に秘密」の教習所
2014(平成26)年9月23日、54歳という年齢で、大型二輪免許の教習所へ通うことを決心し、既に家族に内緒で申し込みました。
内緒にせざるを得ない理由は、自業自得なのです。若い頃、250ccのオートバイで交通事故を起こしました。直進していて、対向車が無理やり右折してぶつかったのです。命があるのが不思議なほど空中を飛び、全身打撲で入院しました。もし、「大型二輪の免許を取るために教習所へ通いたい」などと相談すれば、間違いなく家族から猛反対されます。
若い頃、スーパーマンになった悪夢
私は、23歳のときに中型二輪の免許を取得して、スズキ「ハスラー250」というオフロードのオートバイに乗ってました。
朝の出勤のとき、広い国道の交番の前で、対向車線から来る右折車と衝突し、スーパーマンのように空中を飛びました。左手首骨折と全身打撲という大ケガを負いました。2週間、全身が痛くて起き上がれませんでした。妻と結婚する少し前で、恋人同士のときでした。
病院のベッドで、全身の痛みにうなされているときに、救急車を呼んでくれた交番のお巡りさんが事情聴取に訪れ、事故の様子を話してくれました。
「いゃぁ、良く無事だったね、あれだけ空を飛んだら、普通、死んでるよ。それにしても、受け身が見事だったよ、猫のようにくるっとまわって、それで、助かったんだな!」
ベッドの横で話を聞いていた妻は、シクシク泣いていました。
退院後、前輪が歪んだオートバイを修理しようとすると、両親と妻から猛反対されました。全員からの圧力に負け、オートバイは廃車しました。それから、30年間、オートバイには乗っていませんでした。
実際は、好きな趣味を我慢していたわけではありません。私は、オートバイだけでなく、車も趣味でした。車を何台か乗り換えつつ、ドライブを楽しんできました。事故後は、オートバイにさほど興味がなかった、というのが正確な表現です。
乗り継いだ車は、ミニカ、セリカ、タウンエース、レビン、BMW、レガシィです。十分満足しているわけです。
家族の「猛反対」をかわす
交通事故という苦い過去があるわけですから、大型二輪の教習所に通いたいと言えば、妻は、即、却下します。娘たちもオートバイに興味なく、一緒に反対するのは目に見えています。そこで、どうせ反対されるなら、「家族に内緒で、教習所へ通おう」と思ったわけです。土日の朝一番に、家族が起きる前に教習所へ通うのです。
土日の朝一番の教習が終わるのは、9時30分です。妻や娘たちがいつも起きる時間(朝10時頃)より早いはずです。これなら、たぶんバレないと確信しました。
念のため、妻と娘の土日の起床時刻を調べました。データを取ってみると、平均起床時刻は、妻が10時30分、娘は、なんと11時40分です。娘にいたっては、「起きて、そのまま昼食を食べる」という恐ろしい生活リズムでした。
早朝の教習所について、これならイケると、確信しました。
(ところが、その後、秘密を隠しきれなくなりました! 良心の呵責でしょうか?)