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「アイルトン・セナ」伝説のドライバー、サーキットとテレビの違い

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2013年F1日本グランプリ F1日本グランプリ
2013年F1日本グランプリ
F1日本グランプリ
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鈴鹿サーキットで開催する「F1」の魅力です。アイルトン・セナは、日本を愛し、日本から愛された天才ドライバーでした。その走りは、誰をも魅了しました。鈴鹿サーキットで見る「F1」は、テレビとは全く別物です。身体の中からエネルギーが湧きます。

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日本を愛したアイルトン・セナ

多くの日本人が愛したF1ドライバー「アイルトン・セナ」

ブラジルと日本は、昔から国際交流が盛んでした。日本からブラジルへの移民も多かったのです。そのためく、セナ自身も日本を身近に感じ好きでした。日本人もブラジル人も、欧米人に対する反骨精神があったのかもしれません。
今(2011年6月)、思い返してみると、アイルトン・セナの走りを、実際に見たかったです。三重県鈴鹿サーキットで開催されるF1日本グランプリは、テレビで見ていました。アイルトン・セナがチャンピオンを獲得した1991年の頃、東京に住む私は、まだ子供たちが幼くて、生活に余裕がありませんでした。東京から鈴鹿サーキットまで観戦に行くことはできませんでした。鈴鹿サーキットでセナの走りを見ないまま、セナは1994年に天国へ行ってしまいました。

残念としか言いようがありません。

2013年F1
2013年F1

私は、セナと同じ年齢です。セナのチャンピオン時代は、1988年・1990年・1991年でした。28歳から31歳です。そのとき私は、子供が6歳と4歳でした。余分なお金があるなら、子供たちの服や靴を買ったり、進学塾へ通わせたいと思っていました。少ない収入の中で、子供たちへ良い環境を与えたいし、家も買いたいと思いました。家族を最優先させていました。

鈴鹿サーキットで開催されるF1を観戦するには、往復の交通費、チケット代、宿泊代で10万円くらい必要です。裕福のない家計の中で、10万円は贅沢過ぎました。テレビで観戦するのが、唯一の楽しみでした。

セナが1994年に34歳で亡くなった後、しばらくして、子供たちが大学を卒業しました。ようやく、自分のためにお金を使う余裕ができました。2006年、鈴鹿サーキットで初めてF1を観戦しました。実際のサーキットは、言葉で表現できないほど、感動的でした。

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身体に響くF1サウンド

鈴鹿サーキットで聞くエンジン音、エキゾーストサウンドは、身体の奥まで響きます。F1サウンドは、しびれる官能的な音でした。特に、ホンダエンジンの高回転域の音は、きれいに透き通っていました。F1サウンドは、日常では聞けません。地球上に存在しないと思えるほど表現が難しい音です。テレビを見ていても、感じられない音です。

2013年F1日本グランプリ
2013年F1日本グランプリ

生のF1サウンドを聞くと、心が踊ります。身体の中から、エネルギーが溢れてきます。誰かに何かを伝えなくなるような、感動的なエキゾーストサウンドです。年に1度しか味わえない感動を、誰かと共有したくなります。

この魅力が、車に興味のない妻には伝わらず、今年も、ひとりさみしく鈴鹿へ行きます。妻から、「10万円も使って、爆音聞くなんて、ばっかみたい」と言われます。

(ふっ、男のロマンはわからねーぜ!)と心の中で、ひとりつぶやくのでした。

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